ないしょのかけいぼ

買い込んだガラクタや燃やしたハイオクの供養塔です

博士課程修了

博士後期課程修了者名簿に学籍番号が載っていました。完走です。

あまり個人が特定できるような話を書くつもりはないのですが、博士後期課程進学(D進)を決めた3年前にもブログ記事を書いたので、その精算をします。

D進して、よかったのか

よかったと思っています。比較的気ままにやりました。

全部が噛み合った3年間

自分の力じゃないなんていうと怒られるし、自分は自分なりに頑張りましたが、とはいえやはり自分の力だけではどうにもならなかったなと思う3年間でした。先生、設備、金銭的支援、趣味、家族友人などなど、すべての歯車が私のD進と奇跡的に噛み合い、私はいまここにいます。

私が師事した先生は分野として非常に若手の方で、しかるに新進気鋭で、競争的研究費の獲得も巧く、他大学で同系統の研究室と比べても桁違いの設備が揃っていたと思います。私の研究はとある材料の作製評価が主軸でしたが、論文として出版した仕事の8割程度は研究室内で完結しました。

研究室内であらかた完結するというのは体力的にも精神的にも助けになりました。裁量が大きい分、装置の保守管理といった雑務も発生しますが、どことなくカメラいじりやクルマいじりに通じる部分もあり、割合楽しくこなすことができました。

研究室内に”先輩”はおらず、実験系の学生も私くらいで、本当に気ままな研究生活でした。健全な精神の担保という視点に立つと、自分の稼働時間=マシンタイムという環境は、思うがままに研究を進めることが可能という意味において極めて重要なものでした。

詰められ慣れていない、温室育ちのZ世代としては先生方との接し方でしばしツラくなることもありましたが、研究者として大変尊敬できる方に、恵まれた環境下で議論や指導をいただいたことは、これからの人生においても大きな財産だと感じています。

日々の生活は大学のフェローシップ制度や財団奨学金などに助けられました。工学系学生は本当に恵まれていると思います。感謝の念に絶えません。

精神的には、趣味、そしてそれを介した友人たちの存在にも支えられました。研究成果は発表や論文投稿に漕ぎ着けないとオモテに出せませんし、共感や承認を得づらいものです。だんだん鬱屈としてくるのですが、そうしたときに酒を飲んだりバカ話をできたり一人一台で徒党を組んで遠出できる仲間たちがいるのは大変な支えになりました。ありがとうございました。

結局、研究は好きだったのか

研究生活そのものは好きだったのだろうと思います。ただ、アカデミックな世界に残ろうとは思いませんでした。

学振*1では全敗を喫しました。アレの申請書類を準備しているときに気づきましたが、当該分野に対する熱意が私には圧倒的に足りていませんでした。実際、研究に対する熱意はないのに仕事だけはできる、そういったお言葉も時折(主に飲みの席で)頂くくらいでした。知見に基づくアイデアとそれを実現し得る研究計画、それが成されたときに社会へもたらされるインパクト。これをA4数枚の申請書に落とし込み、魅力を余す所なく評価者へ伝えることは、誰よりもその研究を信じ、愛していないと不可能です。そして、それらでもって同業者を薙ぎ倒して競争的研究費を獲得する。アカデミアで一人前の研究者としてやっていくためにはそうした胆力が必要です。私が他の研究者を蹴散らしてその境地に達するためには、恐らく研究活動以外の全てを捨てて掛からねばならないと悟りました。そういった意味で、私はつくづく凡才である、と自覚させられた3年間でした。

恥ずかしながら私には、この研究をそこまで深く愛し、人生を捧げようと思うには至れませんでした。高専から数えて7年間ほど研究室生活を続けても、趣味性を人生の第一に据える甘い人生観を変えることはできませんでした。どっちつかずの生き方こそが凡才を凡才たらしめる所以でしょうが、もはやそれと死ぬまで付き合っていくしかなさそうです。これを強く認識できた点で、この3年間に心理的・社会的モラトリアムとしての意味もしっかりあったんだ、とポジティブに思うことにしています。

足裏の米粒

4月からは一般男性会社員として東京湾を囲む夜景の一部になる予定です。JTCの博士了採用なので、修士了にちょっと色がついたような額の基本給が提示されています。学位とは取っても食えない足裏の米粒だ、とよく揶揄されますが、確かに今のところ、それっぽい社会的特典は見えてきません。

一方で、博士後期課程となると国際学会などで海外の学生と話す機会が多く得られました。とりわけ欧米においては、学位持ちか否かで明らかに態度が変わることを感じました*2。なんだかんだ、いまだにアジア人というだけで軽視されるつまらん星です。日本国外で今後何かをするときのお守りがわりの米粒として大切に持っておきます。

我が国にはどうやら博士が少ないらしいぞ!というニュースが近頃ちらほら聞こえてきます。今後、博士持ちの仕事ぶりに対する国内の視線はより鋭いものになるのではないでしょうか。後輩たちの顔に泥をひっかけないように、そして我々自身の地位の向上につながるように(できる範囲で)がんばっていきたいと思います。

これからどうしよう

ということで、多くの支えのもと、ひとまず博士課程修了まで漕ぎ着けました。まだ学位記は受け取っていませんが、一足先に御礼申し上げます。ありがとうございました。

とりあえず今はちょっと疲れたというか、開放感に浸りたいので、気になっていたマンガだとかアニメだとか文芸作品だとかを手当たり次第に摂取しています。しばらくは頑張って働いて、ミニの錆を直して、マフラーも換えて、できればもう一丁ヘンなクルマを……などという餅も描いてます。

一方で、足かけ7年間にわたるこれまでの研究生活でお会いしてきた方々の人生をみるに、ずっと会社員をやるだけが残りの人生の解ではないとも思っています。具体的になにか策略があるわけではないです。ただ、会社員をやりはじめて、その湯船に溶け込んでしまわないよう……その気になれば、機会を得たら、サッと別の風呂にも飛び込んでいけるようにフッ軽でいたいです。宣言するわけではないですが、そんな気持ちも忘れないようにここへ書いておきます。

改めまして、お見守りくださいました皆様、ありがとうございました。
そしてまた引き続き、社会の荒波に面食らう私をお見守りくださいますと幸甚です。

*1:日本学術振興会。学生がこの2文字を書くとき、博士課程学生を対象に給与と研究費を支給する特別研究員制度を大概は指します。若手研究者としての登竜門的存在

*2:ポスター発表中にポスドクだと勘違いされており、それが解けたと同時に興味を失われるなど